留学までの道-2-

 それまで殆ど英語の勉強はやってきていなかった. いや正確には多少はやっていたとでも言えるかな? 旅行に行くたびに,語学力のなさを痛感していたので アルクの1000時間ヒアリングマラソンを大学2年のときに購入し, それで勉強は一応していた.

 もちろん,博士で留学をしようと思っていたので英語の勉強は不可欠だったのだが, まだ一年以上あるし,なんとかなると思っていた程度でした. それが突然の今すぐおいで!という知らせ.願書提出は翌年の2月(留学生は1月だったかな?). かなり焦りました.

 初めてTOEFLを受けたのはその年の9月ぐらいだったと思います.点数は恥ずかしながら160点. まったく勉強せずに受けて,これはいいのか悪いのか.それから多少文法の勉強を行い, この教授とあった時点で180点強ぐらいでした.要求されているのは237点.不可能だと思いましたね.

 12月は研究を投げ出し,英語の勉強をしましたが,2月の上旬になんとか最終願書締め切りに間に合うか?という 心配を頭に置き,受けたテストが204点だったと思います.

 年明けから大学の中間発表の準備にもおわれ,英語のみに専念とは行きませんでしたが, この英語の点数が僕の限界でした.これはある程度予想できていたので, その時点ではまだ日本で修士をとってもいいかなと思っていました.

 予想通りその大学には落ちました.ただその教授から一通のメールがきてたんですね. 大学時代の成績など他は全て大丈夫だ.トーフル.トーフルさえ突破すれば,行けるぞ!ただ今の点数(186点といっていたので, 結局204点のは受け付けられなかったみたいですね.どっちにしろ足りていませんが…)からだと 相当厳しいし,ネイティブの人を家庭教師にやとい勉強したらどうだ? という内容でした.

 そのメールを見て,吹っ切れました.大学院卒業なんてどうでもいい.どうせ修士をやり直さなきゃ いけないんだし,教授もむかつく.いる必要はない.やってしまうか!!

 メールが来たのは4月の中旬(公式な不合格通知は5月の中旬でした).それから2週間後,語学学校を決定. 語学学校の入学許可が来たのが,更にその2週間後ぐらいでしたか. 金を払い,5月30日,仕度もままらないままトロントに向けて出発しました.

 

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