5日目-午前(ハリファックス)

 最終日である.朝起きて,朝食♪…の前にやることが. 2004年の夏に起きたイベントといえば,これしかない. そう,オリンピックである.野球の試合をやっていたので,テレビ観戦.結果は ご存知の通り,日本の負け.くそぉ.

 負けたものは負け.いくら見ていても,愚痴を言っても,勝つわけがないので, 朝食を食べに一回へ.すでに仕度はされていて,老夫婦のオーナーが 特大の笑顔で迎えてくれた.

 トーストにシリアル,果物とごく一般的なB&Bの朝食風景だ. これがうれしい.オーナーと話をしながら食事をとった. このオーナー,日本人のとある作家さんが泊まったことがある というのが自慢らしく,その人の書いた本を片手に,話してきた.

 残念ながら,僕はその作家さんの名前に覚えがあるわけもなく, 友人Sも知らなかったが,おそらく有名なんだろう. いや,無名なのかも.とにかくそんな話や大学での専攻は?とかいった話で 盛り上がった.

 遊んでまわるには,荷物がジャマだ. オーナーに尋ねると,荷物を置かせてくれるとのこと. 空港へのシャトルバスも宿のそばから乗れるとの情報も貰い, お言葉に甘えることにした.

 フェリーで,ハリファックスへ.そして,まずはセント・ポール英国国教教会(St. Paul's Anglican Chruch)へ.この教会は,カナダ初の英国国教教会で,1750年に建設されたそうだ.

St. Paul's Anglican Church
セント・ポール英国国教教会

 内部は,さすが教会.静かで厳粛な雰囲気が漂っている. キリスト教徒ではないけれども,なんか落ち着く感じがして, 教会というものはけっこう好きだ.

 ただ今回は一人旅ではない.あまりのんびりしすぎることもできず, 内部をうろうろしながら,お目当てのガラス窓に目を向けた.

 それは1917年のハリファックス大爆発(後述)の後,現れたといわれる 人の横顔のようなシルエットである.それは,簡単に見つけることができ, なるほど確かに人の横顔のシルエットである.

 ガラス枠一杯に広がる横顔は,どことなく奇妙な雰囲気をかもし出している. あながち教会の司祭の横顔という説もありえてしまいそうだ.その後,外に出て, 爆発したモンブラン号のものと思われる金属片を少々探してみたが, どれか確信はできなかった.

 続いて訪れたのは,大西洋海洋博物館(Maritime Museum of the Atlantic)だ. ハリファックスにきた一つの大きな理由として,このミュージアムがあるからというのが あったぐらいで,ここはゼヒとも訪れたかった場所なのだ.

 学割はなかった気がする.タイタニックの3Dシアターとのセット券を購入したのだが 値段は忘れた.たぶんあわせて7ドル前後.入場だけだと4ドルだ.

 全てをゆっくりと見る時間はなく,また船そのものやその歴史といったものに それほど興味があるわけでもないので,飛ばし飛ばしでみていった.しかし,とあるギャラリーで釘付けになる

 それは,ハリファックスの大爆発(The Halifax Explosion)に関してのコーナーだった.

 1917年12月のことだ.1914年から始まった第一次世界大戦の影響もあり,ハリファックスの港は景気がよかった. だが,12月6日の7時30分.悲劇は起きた.

map and Imo
地図とイモ号

 2300トンのピクリン酸,200トンのTNT,10トンの綿火薬,そして35トンのベンゾールを積んだフランス船モンブラン号(Mont-Blanc)は, 艦隊に合流すべく航行を開始した.

 これと同時刻.ノルウェー船イモ号(imo)は,ベルギーへの補給用物資を取りにニューヨークへ舵を進めた.

 譲り合いありがとうの精神はどこ吹く風.港の入り口で互いが意地の見せ合いを始めた.そしてついに, イモ号の船首がモンブラン号に突き刺さってしまった.

 幸いにも爆発は起きなかったが,火災が発生.モンブラン号の乗員は,ただちに対岸のダートマスへ避難を開始した.

 乗員脱出後,船はハリファックスの港の北側,リッチモンド工業地域へ漂流を始めた.20分間燃え続け,そして9時5分に とうとう大爆発を起こしたのだ.

 爆風はすさまじく,建物という建物はなぎ倒され,通学途中の子供,港で働いていた人たちがその犠牲となった.

 被害の詳細はというと,1630戸の住宅が爆風により全壊.その後の火災で,12000戸の家が焼けた.また,このために 極寒の中,家を失った人の数は6000人.

The Silliker Car Works
The Silliker Car Works

 犠牲者は確認されているだけで,1951人(2002年9月現在,the Halifax Foundation発表). おそらくハリファックス爆発によるものと思われている身元不明の数は約250人.

 しかし,救援は迅速に進んだ.カナダ全土がそして,多くの国が救済にあたった. 例えば,ハリファックス爆発対策本部は同日午後に設立され, ボストンからは爆発が起きた同日の深夜に救援物資が届いていた.

YMCA Emergency Hospital
YMCA Emergency Hospital

 全ての建物(船も含む)が人々の救援のため使われ,それでも足りないため, 一部の人は列車で他の都市に運ばれた.

 この爆発は,原爆を除けば,人類が引き起こした史上最大の爆発を記録している. そして,毎年12月6日9時.慰霊のためにフォート・ニーダム(Fort Needham)に建てられた ベルタワー(Memorial Bell Tower)の鐘が打ち鳴らされる.

 この博物館には,倒壊した街の写真が何枚も展示されており,なかでも目を引いたのが, 時計だ.原爆の時計.といえば,我々日本人には想像が容易かもしれない.9時5分に止まったままの時計が 全てを物語っているのだ.

clock
時計

 簡単なビデオでも説明があり,その悲惨さに言葉も出なかった.しかし,この博物館はこれだけではない. もう一つ,注目すべき展示があるのだ.

タイタニック

 これほど有名な船も世の中にはなかなかない.何度も映画にもなり,最近でもないが,レオナルドディカプリオ主演の 映画は多くの人が記憶にあるのではないだろうか?

 そのタイタニックに関する展示が,この博物館にはあるのだ.というのも,ハリファックスはタイタニックの救助の拠点となった街. 墓地もあり,犠牲者150名が眠っている.ちなみに,J・ドーソンという方のお墓もあるそうだ.説明はいらないかもしれないが, ディカプリオが主演した人物と同姓同名の人物だ.

 閑話休題.はっきりいってこの博物館の展示には感動した.自分の中では,映画の中の世界でしかなかった タイタニックの遺留品が目の前にあるのだ.デッキ・チェアに,一等ラウンジの一部.この衝撃はすさまじかった.

deck chair
デッキ・チェア

 その後,展示品を見つつ,タイタニック3Dの上映時間まで時間をつぶす.これは15分と短いが,見る価値は十分にある 内容だった.…ラブロマンスなんてありませんよ.タイタニック号と救助に活躍したハリファックスに関するフィルムだ.

 博物館の見学を終えると,時間は11時を回っていた.お腹もすいたことだし,ぶらぶらと港へ歩を向けた.

*ハリファックス爆発に関しては,以下のウェブサイトを参考. http://museum.gov.ns.ca/mma/index.html(大西洋海洋博物館)

 

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