++雑記++

2005年10月の日記

2005年10月31日(月)
Bif Naked -2
2005年10月30日(日)
Bif Naked
2005年10月28日(金)
内情
2005年10月27日(木)
ハロウィン
2005年10月26日(水)
ピザ
2005年10月25日(火)
ハードディスク容量
2005年10月23日(日)
冷凍庫
2005年10月22日(土)
議論
2005年10月21日(金)
紅葉
2005年10月20日(木)
中間テスト
2005年10月18日(火)
鶏飯
2005年10月16日(日)
パキスタン地震
2005年10月14日(金)
英語と日本語
2005年10月13日(木)
ワイヤレス
2005年10月12日(水)
質疑応答
2005年10月11日(火)
発音
2005年10月10日(月)
プレゼンテーション
2005年10月9日(日)
Proposal
2005年10月8日(土)
英語-12
2005年10月7日(金)
英語-11
2005年10月6日(木)
英語-10
2005年10月5日(水)
英語-9
2005年10月4日(火)
英語-8
2005年10月3日(月)
英語-7
2005年10月2日(日)
英語-6
2005年10月1日(土)
英語-5
Bif Naked -2
昨日は思わず取り乱してしまいました.
すいません.

さて,昨日はBif Nakedの
ミニライブがありました.

そのライブの名前は,
ISLAMABAD hope concert
といいまして,イスラマバードという名前から
想像できるようにパキスタンの地震に
対する寄付金集めが目的です.

チケットは前売りが12ドル,当日が15ドルで
全ての売り上げが,パキスタンの
国境なき医師団へ寄付されることになっています.

パキスタンで起きた地震にたいし,
何か行動を起こしたい!しかし,どうしたらいいのか?
そんなときにこのコンサートの存在を知って.

……
なんていう綺麗ごとで行動するわけがありません.

なんていってもBif Nakedですよ.
日本では殆ど知られていませんが,
カナダでは(おそらく)誰もが知っている
メジャーどころです.

それがたったの12ドル.
めちゃくちゃ安いです.

それになんにしろチケットの売り上げは
寄付されるわけで,結果的に
パキスタン地震への協力にもなりますしね.

そんなわけで,これを見たときは,
コンサートかぁ.興味がな…えっ?Bif Naked??
しかも12ドル!行くしかない!!!
というわけで,速攻前売り券を買いに行きました.

同じ日にハロウィンのパーティーにも誘われていたのですが
そんなものよりも僕にとっては,Bif Nakedの方が
1000倍,価値はあります.

それにたいして衣装を用意していたわけでもないし,
これは好都合だ.ということで,
昨日の夜にいってきたわけです.

他にも前座の人たちがいたわけですが,
その辺の感想も含めて,明日に続きます.
2005年10月31日(月)  No.240

Bif Naked
Bif Naked,さいこう!!!
めちゃくちゃ楽しかった.
かっこいいし,歌もいい!
だあ,トロントいきてー!!

…と突然叫んでみました.
もうすぐ11月,皆さまいかがお過ごしでしょうか?

もうすでに眠いので,詳しくは
起きてからということで,
簡単に言うと,Bif Nakedのミニライブに
行ってきました.

最高です.
かっこいいです.
また行きたいです.

あぁ,また最初と同じことを
かいている.

ぐだぐだになる前に
今日のセットリスト.

憶えている限りで,
おそらくこんな順番だったという
程度のものです.

僕の記憶力なんて
当てにならないので.

Abandonment
Let Down
Everday
My Whole life
Chotee
Spaceman
Lucky
Tango Shoes
Moment of Weakness
I want
The Question Song
I Love Myself Today

個人的に,Spacemanが聞けたのが
うれしかったです.
いや,ホント最高だった.

そんなわけで,詳しくは
また明日に続きます.
2005年10月30日(日)  No.239

内情
いつもけっこう適当に書いている
雑記ですが,実はなかには
お蔵入りになったものもあります.

書いてて,自分で何を書いているか
わからなくなったり,うまい結論がみつからなかったり,
あまりにも突拍子のない内容だったりすると
そのまま内容をテキストにコピペ→保存→放置
といったことになります.

最近でも,2つほど書いたのですが
どうも納得がいかない.

適当に書いているはずなのに,
やはり自分の中で何かがおかしい
という思いが生じて,公開するのを
やめてしまいます.

別に何をどれだけ書こうが
いいようなきがするんですけどね.

まあ,削除ではなく
パソコンのどこかに眠っているだけなので
いつか書くネタがまったくなくなったときに
出てくると思います.

それに比べると,旅行や食べ物といった
コンテンツの方は,途中で全部消したり,
公開を見合わせる
といったことはないんですよね.

たぶんちゃんとした道筋が
自分の中でできているからだと思います.

とここまで書きながら,
読み直してみると,けっこうお堅い
文章になってしまっていますね.

うーん.これはお蔵入りにするべきか?
しかし,今日は(も?)すでに書くネタを持っていない.

ということで,このまんま行こうと思います.
たまにはこんな内容でもいいでしょう.
うん.いいはずだ.
2005年10月28日(金)  No.238

ハロウィン
最近,なんでか知りませんが
忙しいです.

最近というか秋の学期が
始まってから,ずっと忙しいのですが….

その原因はわかっています.
そう,授業.

たった一つの授業しかとっていないのに
これがきつい.きつすぎるんです.

と,愚痴を言っても始まらないので,
とりあえず課題をこなしているわけですが,
そんなこんなで一つ忘れていることが
ありました.

ハロウィンです.

10月31日なんですが,
パーティーは金曜日とか土曜日とかにも
行われます.

んで,金曜と土曜に誘われているんですね.
しかし,ここに問題が!

ハロウィンといえば
コスチューム.

浴衣でも持ってくればよかったのですが,
そんなものは荷物のジャマと判断して
持ってきていない.

今家にあるもの,普通の洋服だけです.
これが困ってしまったのです.

誘われたのが,今週の火曜日.
そしてパーティーは週末です.

やることは大量にあるのに
コスチュームの用意なんてムリに等しい.

そんなこんなで,とりあえず
金曜日は勘弁して!土曜日は出るから.
と伝えてあったのですが,
急遽,土曜日に他の用事ができました.

できたというか,作った.
このままハロウィンをなしにするか
それとも金曜日に行くか.

行かないとなると,相当ブーイングを
喰らいそうですが,全ては仕事次第ということになります.

あ〜,コスチュームどうしよう.
2005年10月27日(木)  No.237

ピザ
今日は,夕飯を食べに久々に
ダウンタウンまで行ってきました.

お目当ては,ピザ.
火曜日は半額(学生は水曜日も)なので,それが狙いです.

そのお店は,terra cottaといい
食べ物のコンテンツで紹介したジンジャービアを出す店です.

もうジンジャービアは懲りているので
おとなしくルートビアを頼むことに.

この店の特徴として,7種類ぐらいの
チリソースを置いてあるんですね.

中にはホント,死にそうになるぐらい
辛いものもあります.
一口なめただけで,えらい目にあうくらい.

もちろんそれほど辛くないものもあるわけで.
自分で選ぶわけですが,選ぶといっても
まずは自分の舌で確かめないといけないわけです.

お皿にちょこちょこ出して,
それをピザにくっつけて食べる.
激辛のやつはそれだけで,かなり後悔するのですが,
その段階はいままで済んでいます.

つまり,来るたびにいろんなチリソースを試し,
要するにこんなアホみたいに辛いものは
ピザの味を壊し,まったくもって
料理を楽しんでないのではという結論にいたったわけです.

そんなわけで,ピザだけだったり,
一番辛くないやつをちょっとのせたりして
食べていたわけですが,あることに気づきました.

これ,かなり量が多い.
つーか,飽きてくる.

普通においしいんですよ.
でも,半分ぐらい食べると
もうダメ.

以前はチリソースをかけたりして
色々試していたので,食べれたのですが,
どうもそのまんまだときつい.

食べ始めたのが夜の9時からだったこともあり
少々残し,テイクアウトしました.

辛いものを食べれば
夜9時過ぎから,ピザを食べ始めても
カプサイシンで大丈夫かなとも
思いましたが,そんなわけねーだろと
速攻で気づきました.

ダイエットの天敵です.
2005年10月26日(水)  No.236

ハードディスク容量
今日の最高気温は10度.最低気温は5度.
20時現在は8度ですが,体感気温は4度とのことです.

週間予報を見てみると,最高気温が10度程度で
最低気温が3度程度になっており,
静岡の真冬じゃねーか?と思ってしまいます.
まだ10月なのに….

さて昨日は久々にパソコンの中を
整理しました.

基本的に物が捨てられないのは
以前も書いたとおりですが,それは
パソコン内のファイルに関してもいえます.

そうです.このパソコンを所有してからの
歴史が詰まっているわけです.

まあ,歴史といえば聞こえはいいですが,
正直なところ,見るかどうかもわからない
ファイルだったりするわけです.

それも,いつか使うかもしれない.
というのが,消すのをためらう理由.

しかし,残りのHDDの容量が2GBをきっている
状況ではそんなためらいは何の意味も
なしえません.

別に2GBあれば,卒業までは何の心配も
いらないような気がするのですが,
デフラグをするとなると問題です.

というのも,久々にデフラグをしようかと思ったものの
最低でも空き容量が15%ないとダメだと
怒られてしまったわけです.

では,15%とは…4.86GB.

これはきついです.
2.5GB以上なんらかのものを削除する必要といわれても
それだけ消すのは至難の業.

まずは,使っていないソフトの削除.
富山時代に教授の雑用のためだけにいれた
ソフトのアンインストール開始です.

そして,これまた富山時代の
雑用関係をバリバリ消していく.

続いて,100%もう使うことはないだろう
ファイルの削除.

どんだけムダがあったんだ?
というぐらいの勢いで
4GB前半まできました.

ここで,つまったわけです.
何を消したらいいのだろうか?
いや,容量をくっているのはわかるんですよ.
富山時代の自分の研究のデータ類.

なんでかしらないけど,数GBとか
普通にあります.

しかし,自分が行ってきたものを
消すのは,これまた中々実行しがたいものが
あるんですね.

そこで,うんうん唸って,
ようやく見つけたファイル.

とある実験の様子を写したビデオで
時間はは20分強.サイズで600MB程度ありました.

思い出だしなぁ.とも思いましたが,
しかし600MBもあるのはサイズのムダ.
それに,今の今までその存在を忘れていたものです.
切り貼りして,実験の部分だけのこし,
さっさと削除しました.

そんなこんなで,なんとか15%ひねり出し,
デフラグを行うことができました.

もう使うことはないだろう
ムダに容量をくっている,富山時代のデータたち.
いっそ不可抗力で消えてしまえばいいのに.
と思いましたが,それはここウィンザーでの
データも消えてしまうことに….

卒業したら,OSの入れなおしでも
したいなぁと思いつつ,
それまではパソコンに頑張ってもらおうと
心の底から祈る日々です.
2005年10月25日(火)  No.235

冷凍庫
今の家に住んで,
10ヶ月ほど経ちます.

車もないですし,あまり買い物にも
行かないのですが,それでも
いろいろと荷物は増えてきました.

冷凍庫を覗いてみれば,
安売りの冷凍食品やお肉などが
あります.

こっちではお肉など400gとかからの
パックが多いので,どうしても
冷凍してしまうんですね.

で,これが問題なんですよ.
冷凍してあるものを使わずに
買ってきてしまうわけです.

…別にボケてるわけではありません.
なんか安いものを見ると,
まだ冷凍庫にも余裕があるし,買っちゃおう♪
という,なんともしょーもない
考えが頭に浮かび,そしてそれに忠実に
従ってしまうのです.

野菜類はそれでも,我慢できるのですが
肉類や冷凍食品はついつい買ってしまいます.

そして,滅多に使わずに
冷凍庫で眠り続ける.

冷凍庫に入れとけば,
味は多少落ちるにしろ,腐らないから
また安心してしまうんです.

昨日も,夕飯にスープ系のものが食べたいな
と思ったので,ポトフを作りました.

まだ冷凍庫の中に以前作った
シチューが入っているにも関わらず….

いい加減,どっかでやめないと
カナダを去る直前にえらい目にあいそうです.

まあ,まだちょっと先のことですが.
って思ってるとダメなんですよね.
なんとか減らしていきたいです.
2005年10月23日(日)  No.234

議論
昨日は飲みに行ってしまいました.
木曜日で今日も大学があったにも
かかわらずです.

まあ,別に翌日がなんだろうが
飲みに行くのはかまわないのですけどね.

仕事のめどもたったしと,帰り仕度をしていたとき
友達が夕飯から帰ってきて,
その足で,飲みに行こうと誘ってきました.

彼曰く,一週間に一度は飲みに行こう♪
という,もう酔ってんのか?とききそうに
なるぐらい陽気な感じでした.

付き合いも大切ですし,飲みに行ったわけですが
その時点(8時ごろ)で,夕飯はまだ
食べてなかったわけですよ.

こっちでは普通,飲みと食事は別々です.
飲みにいく場合でも,ご飯を食べてから
どこどこで集合なんてことは日常茶飯事.

日本のように,居酒屋で何かつまみながら
飲むということは,ほとんどありません.

疲れていて,しかも空きっ腹にビールか.
こんなことなら,一緒にレストランに行ってくれば
よかったと少々後悔しながら,
大学構内にあるパブへ.

そこにはすでに3人の教授陣が
始めていました.

たしか先週もこのメンバーで
飲んだなぁと思いつつ,とりあえず
ビールをグラスへ注ぎます.

ただ,かなり音楽がうるさく
会話が成立しないことから,
しばらくしたら店を移しました.

そこで,ふとしたことから
スポーツの話題へ.

外国の人ってバーとかで会話を
楽しむっていうじゃないですか.

あれってべつに高級な話というわけでは
ないんですよね.スポーツの話題だったり
車の話題だったり,異性の話題だったりで
べつにたわいもない会話だったりします.

まっ,そのたわいもない会話が
実は一番難しいんですけどね.

スラングやジョークが入り混じり,
ネイティブが3,4人で話していく
会話スピードに飛び込むわけで,
かなりしんどいです.

閑話休題.
スポーツの話題は,そのうちに
ホッケーとサッカー.どちらが優れているか?
という話題に変わりました.

50台半ばの教授3人と,僕を除けば平均年齢30歳の
大学院生ども(5人)が,超マジメに
小学生のごとき内容で議論.

ホッケー信者は,今にもつかみかかってきそうな
勢いで,議論をとばします.

サッカー信者もそれに負けじと
ばんばん意見をいう.

で,その内容の一部を紹介すると,
ホッケー信者曰く,
ホッケープレイヤーはサッカーができる.
しかし,サッカー選手は,スケートができなきゃ
ホッケーはできない.ホッケーの方が上位なんだよ!
とのこと.

サッカー信者も,
あんな殴りあうスポーツなんて紳士的じゃない.
それに,ガタイがでかくなきゃできないなんて,
馬鹿げてる.何より,サッカーは一年中できるのに
ホッケーは冬の3,4ヶ月じゃないか!と返します.

そこに,ボクシングだの魚釣りだの
ラグビーだのいろいろ加わり
そして,出た結論は,サッカーとホッケーを
同じ土俵に乗っけるから悪いという,
議論の根本に関わるもの.

まあ,酔っ払っていますし,
結論なんて意味をなしません.
そこにあるのは,2時間程度
ビールを飲んで,バカな会話をするということ.

たまにはこんなものもいいかもしれません.
2005年10月22日(土)  No.233

紅葉
かなり朝晩冷え込んできました.
日中も秋らしいといえば秋らしいのですが,
ばっちりと晴れて,そして心地よい寒さです.

カナダの秋といえば,紅葉が一番に
思い浮かぶのではないでしょうか?

カナダといえば,メープル.
赤や黄色といった暖色系の色彩は
なにやらほんわりと,そして
もの寂しげな雰囲気を漂わせ,秋という
季節を演出します.

って,ここまで,書いておきながら
ここウィンザーはまだまだ緑が
多かったりします.

つーか,殆どまだ紅葉が
始まっていない.

ここんところ寒いので,
そろそろ変わり始めるのかもしれませんが,
まだまだ緑いっぱいです.

人の服装もそれぞれで,
いまだに半そでの人もいれば,
ウィンドブレーカーやパーカーを
着込んでいる人もいます.

10度前後なので,さすがに半そでは
ちょっとおかしいと思いますが,
一旦部屋に入ってしまえば,パーカーなどでは
暑いくらい.

あと1ヶ月もすれば,半そで一枚で
行動するなんて不可能になってしまうのでしょう.

まあ,部屋の中はやっぱり
半そででもいけるんですけどね.

夏は羽織るものが必要で,
冬は半そでじゃないときつい.

そして,一歩外に出れば
それと真逆のことが発生する.

いいのか悪いのかわかりませんが,
とにかくカナダとはそんな国です.
2005年10月21日(金)  No.232

中間テスト
今日,中間テストがありました.

結果は,まあまあというか
自分の専門に関連している授業なので
本来はまあまあでは,まずいのかも
しれません.

この授業は,environment magnetismといって
日本語にするならば,環境磁気学.
僕が行っている古地磁気とは,
少々異なります.

とはいえ,基本は同じ.
なので,授業は比較的簡単に
ついていくことができます.

そして,この授業は,中間テスト+
論文発表(セミナー)2回+論文で採点されます.

この中間テストが問題なんですよ.

たいていの大学院生向けの授業は
中間テストなんてものは存在せず,
セミナーや最後に発表をしたりするだけです.

それに比べ,こいつは,
たったの3ヶ月で,論文を書き上げなければ
ならないにもかかわらず,中間テストやら
セミナーが入ってきやがる.

というか,ウィンザー大学地球科学科の
大学院向け授業で,初めての中間テストを
導入した授業ではないか?と友達中から
言われるほど,ありえないことなのです.

テスト前は,いままで中間テストで苦しんでる
大学院生なんか見たことある?と珍獣扱いされ,
おまけに試験監督しに行こうか?とも言われる.

散々みんなにいわれたわけですが,
こうして今日,無事(?)に終わりました.
って,まだセミナーやら論文を書くための
実験やらが手付かずで残ってるのですが….

と,いろいろ文句を言いながら,ふと気づけば,
テストの2日前に,鶏飯の英語での言い方で
かなり悩んでいるバカな人間を見つけました.
困ったものです.
2005年10月20日(木)  No.231

鶏飯
カナダに来てから,
日本にいたとき以上に料理を
するようになりました.

といっても,富山にいたときも
研究を行う前の年,すなわち大学3年までは
ほぼ毎日自炊していたので,それに比べると,
それ以上とはいえないのかもしれません.

とにかく,研究を始めてからで言うならば
いまが一番料理をしていますね.

なにより炊飯器を購入したことが
一番大きなきっかけのような気がします.

せっかく買ったのだから,使わないと
という思いと,ご飯ならばそれに合う
おかずを作ることがそれなりにできるからです.

また外食が続くと,それだけお金も使いますし,
ちょっと貯めたいので,無駄遣いは控えたいところ.

って,そんなケチケチな生活を
送ってるわけではなく,飲みにも行くし,
たまには外食もします.

それと,もう一つ.料理を始めた理由は,
ストレス解消ですね.

カラオケもできず,車でぶらぶらすることも
できないウィンザー生活.
食がストレス解消に役立ちます.

そんなわけで,特に休みの日などは
少々気合をいれて作ったりするわけです.
この前は,鶏飯を作りました.

別にそれはどうでもいいんですが,
ふと疑問に思ったこと.

鶏飯は英語でなんていうんだろうか?
直訳するならば,チキンライス?

しかし,チキンライスはケッチャップで
味付けしたチキンライスが日本には存在し,
チキンライスは鶏飯ではない.

これ,よく考えると不思議なんですよね.
チキンライスがカナダに存在するかは別として,
日本で,鶏飯とチキンライスが,全く別のものとして
存在するわけですよ.

しかし,直訳するならば,鶏はチキンであり
ご飯はライスなわけで,本来おんなじ物だと
いうことに気づくわけです.

だけれども,鶏飯=チキンライス
かといえば,日本では,
それは断じて違うと言えます.

こっから先はまったくもって英語ド素人の
僕が勝手に考えた内容なので
責任は持ちませんです.

なんとなく,日本の鶏飯はチキンライスとは
呼ばない気がするわけです.
そんな気がするだけで,根拠はありません.

鶏飯をチキンライスと呼ぶならば,ケッチャップ味の
チキンライスの立場も考えなければならず,
それではあちらを立てればこちらが立たぬというわけです.

そこで,普段使わない頭をひねりにひねり
でてきた鶏飯の英語での呼び方.
その名も,

Japanese style steamed rice with chicken and vegetable.

どうでしょうか?
やけに長たらしくなりましたが,
こうとしか思えない.

Japanese styleで醤油味をほのめかし
炒めたのではなく,炊いたことを
steamed riceで示す必要があります.

鶏飯のメインは,言うまでもなく鶏でchicken,
んで,人参やらごぼうやら入るので,vegetable.

こんな風になりました.

って,全然ダメでしょうかね?
自分のバカさを露呈してしまっただけのような
気がしなくもないですが,まあ,
もともと自分がバカだってわかっていますし,
気にしない.

でも,鶏飯の英語は気になるのです.
だれか知っていたら,教えてください.
お礼は特に考えてないです.
2005年10月18日(火)  No.230

パキスタン地震
いつのまにか大学のネットは
復旧していました.

ホントいつのまにかという言葉が
ぴったりで,大学に来てみたら
なんでか直っていたわけです.

そんなわけで,情報処理センターの人が
その日の午後に直しにきたときは
すでに問題ないというセンターの人も
首をかしげる状況.

とにかくネットに繋げることができるのならば
なんでもいいのです.

さて,ネットに繋げなかった期間
そんなに頻繁にメールチェックができませんでした.

家に帰れば,インターネットの環境があるため
大学にアクセスしてメールを受信することが
できるのですが,大学ではできません.

まあ,コンピュータールームに行って
ウェッブサイト上で確認することもできなくもないのですが
それはいろいろと不便(鍵を秘書の人に借りるなど)なので
基本的に日中はできなかったわけですね.

そんなある日,家に帰りメールをチェックすると
20通弱のメールが大学のアカウント宛てに
届いていました.

普段こんなに来ることなんてないんですよ.
なんなんだ?と思ってみると,以前にも
あったような出来事の再来でした.

パキスタンで地震が起こったのは
皆さんご承知の通りだと思います.

大勢の方が亡くなり,いまだ多数の方々が
被災地で苦しんでいます.

メールは,この地震に関するものでした.

その内容とは,超要約するならば,
私は最愛の人をなくしたキリスト教徒の方々に
お祈り申し上げます.
というある学生のメール.

それに関して,僕も祈るだの,
こんなメールはU of W全体メールで送るなだの,
キリスト教徒じゃないし,他にも敬意を払えだの,
僕をリストからはずせだのの
メールのやり取りが,全体メールを通して
行われたわけですね.

はっきりいって,どれもうざい.
うざすぎる.送った張本人のメールアドレスは
送信者で出てるんだから,意見があるなら
直接メールをすればいいし,抜け出るなら,
どっかの管理者にそれも直にメールすればいい話である.

僕は,亡くなった人,震災で苦しんでいる人,
宗教を問わずに全ての人々に
祈りをささげるべきであると思うのです.

でも,それは個人個人が各自の心の中で
祈り,そして,募金など行動を起こせばいいことで
決して全体メールで流してはいけないもの.

それに,最初の人はキリスト教を出しているわけだけれども
他の宗教の人もいるわけで,彼らにも
敬意を払うべきなんですよね.

また震災にあっていない,ここにいる僕ら自身にも
敬意を払うべきであり,まったくもって
傲慢としかいえないと考えるわけです.

これがキリスト教の教えなんでしょうかね?
まあ,違うのはわかっていますが.
しかし,そう思ってしまうほど,
いらつく出来事でした.

パキスタン出身の友人が
彼の友達だけに送った,今回の地震のメカニズムの
考察の方がよっぽどマシだって話です.

亡くなった方々のご冥福を祈ると共に
被災地の一日も早い復旧をお祈り申し上げます.
2005年10月16日(日)  No.229

英語と日本語
相変わらず,ネットが研究室から
繋がりません.

メールもチェックできなければ
息抜きもできやしない.
いまさらながら,インターネットの重要性を
かみ締めています.

さて,日本語と英語は
基本的にかなり異なる言語だと
思います.

なので,和訳・英訳ともに
けっこうしんどいんですよね.

英語そのままなら理解できるのに
日本語にしようとすると適切な
日本語が思いつかない.

また,その逆に,この日本語の
言い回しをいいたいのだけれども
上手い英語が見つからないなど.

こんな状況は,けっこうあります.
日本にいたときに多かったですね.
論文を訳すときなどは特にそうです.

ウィンザーでは,最初から英語で
考えるので,あまりこういった状況に
なることはないのですが,トロントにいたときに
友達にこれを英語に直して!とか頼まれると
けっこう頭をひねったりしました.

具体的に,どんな言葉が難しいかというと
“頑張って!”
これが大変なんですよ.

英語にするなら,cheer up!でしょうか?
でも,なんか違うと思うわけです.

他に思いつくのは,Hold on!とか
Do one's best!とか,Good luck!もそうですよね.

それぞれの場面によって,日本語なら
頑張るという一つの単語でするのに,
英語だと使い分けないといけない.

しかし,どれも日本語が意味する
頑張るとはニュアンスが異なる気がします.

他にも,僕が大好きで日常よく使う,
“気合と根性”.
これもどう訳したらさっぱりとわかりません.

結局のところ,Do one's bestになるんでしょうか?

気合と根性をだせば,たいていのことは
なんとかなると思っているわけですが,
それをこっちの人に伝えられないもどかしさ.

do my best … たしかにベストを尽くすわけですが,
それだけではない気合と根性.
文化の違いというだけでは,あまりにも
舌足らずのような気がしてならないです
2005年10月14日(金)  No.228

ワイヤレス
今日は朝からネットが使えませんでした.

どうやら僕のいる建物全体が使えなかったらしく,
その原因は昨日の夜中にありました.

と,ここで,誤解があるといけませんが,
僕のいる建物以外では使えたかどうかは
しりません.

さて,その原因.
ワイヤレス・インターネットの導入にあります.

昨日の夜中,2時ごろから作業が始まり
明け方に終わったとのこと.

なんで,こんな真夜中に作業をするのか
知りませんが,日中だと僕たちのジャマに
なるからでしょうかね.

とにかく,本日めでたく
ワイヤレスインターネットの環境が
できたわけです.

なんとカナダで初めてのワイヤレス・
インターネット環境が整った大学ですよ!
やるじゃないですか,ウィンザー大学は!!

…これが,うれしくもなんともないんだ.
僕のパソコンは,3年ほど前に手に入れたもの.
ワイヤレスの機能なんぞはついておりません.

だいたい,各部屋にワイヤレスの
アクセスポイントをつけるならば
そんなの意味がないって話だ.

たいてい自分のオフィスでインターネットを
するときは,自分の場所でしかしないわけだから,
ワイヤレスにする必要性がない.

おまけに,なんでか知らないけど
インターネットには繋げなくなってるし.
(注:ワイヤレスカードを持ってる人も確かめた)

初めは建物内全体が使えなかったのだけれども
徐々に他の場所は使えるようになっていく.

でも,なぜか僕のいる学生部屋は
一向に使用できない.
そこで,大学の情報処理センターへ電話.

その間,僕はTAがあったので,
部屋にいなかったのですが,戻ってきても
結局は繋がらず….

メールもチェックできないし
早々に家に帰りました.
明日は復旧しているのだろうか?
かなり重要な問題です.
2005年10月13日(木)  No.227

質疑応答
プレゼンテーションは事前に
準備をしておくことができます.

あとは,練習してきたとおりに
しゃべるだけ.そこは,気合と根性で
なんとかなるわけです.

しかし,質問は困ってしまうんですよね.
まず,緊張している.そして,科学英語.
この2つが交じり合い,頭を混乱させます.

そして,なにより,どんな質問が来るか
わからないということです.

プレゼン後の質問は,たわいのない
ものだったので,まだマシでした.
問題は,committeeの質問.

まだ古地磁気の質問ならば
なんとか答えることができるのですが,
地質とかはしんどいんですよ.

その前に,なぜ日常会話だと
なんとかなって,科学英語だと
ダメなのか?

科学英語は,日常で使わない単語が
多いんですね.やっぱり専門的な単語が
増えてきますし.

そういった専門的な言葉は
あまり使わないので,英語として
捉えることが難しいのです.

まったくもって聞いたことのない
単語ならば,無視するのですが,
どっかで聞いたことのある単語だと,
なんだっけ?と一瞬思ってしまいます.

これが,最悪のパターンの始まり.
その間にも話は続いていきますし,
でも,頭は日本語の意味を探してる.

そして,質問に答えるときが来るのですが,
当然のごとく,頭は混乱.

日本語で考え,それを英語に訳し…
という作業を,焦りながらするから
はちゃめちゃな英語になるという具合です.

そんなこんなで,おそらく一時間程度の
質問時間は,かなりきつかったです.

基本的に日本語ならば,特に難しいことは
聞かれてないのですが,英語だと.

まあ,たとえ日本語でもわかんない質問が
きたときは,しょうがないので,
ボツボツと話して誤魔化したり誤魔化さなかったり….

そんなこんなで,とりあえずは
合格したので,よかったのでしょう.
次は修論発表.はぁ.たいへんだ.
2005年10月12日(水)  No.226

発音
英語に限らず,あらゆる言語において
もっとも難しい部分とは,文法でもなく
発音だと思います.

それぞれの言語は,たいてい独特の
発音を持っていて,ときには
それをだすことが不可能のような
感覚すら憶えます.

日本人が苦手としている英語の発音は,
th, LとR, BとVなどでしょうか?

僕も例外なく,これらの発音は
苦手で,というか,BとVははっきりいって
区別がつかないときもあります.

LとRも自分では,気をつけているつもりでも
どうもしっかりと発音できていないようで,
発表練習の際に,教授に指摘されました.

"Clast"という単語をいいたかったのですが,
どうも"Crust"に聞こえるそうで….

その場で何回か教授と特訓したのですが
どうもうまくいかない.

結局のところ,こんな単語を使うから悪い
ということになり,少々長いですが,
"Fragment"という単語に代えました.

こっちもRが入っているのですが,
どうやら"Fragment"の発音は
それなりにいいみたいでした.

他にも,"aquifer"や"calcareous"の
発音の仕方を間違えてたりと
発表の際の質疑応答以前の問題が山積み.

ただ,教授がすべて正してくれて,
また,そのあと,個人で練習する際,
発音付きのオンラインの辞書で
確認をしながら勉強しました.

そんなこんなで,幸いにも
発表はうまくいったのですが,
問題は,その後.

そう,質疑応答のときにやってきました.
2005年10月11日(火)  No.225

プレゼンテーション
M.Sc. thesis proposal.
大学院に入り,まず最初にぶつかる
壁です.

論文とプレゼンテーションの
2つから構成されていて,
失敗すると,卒業時期が遅れるという
悲惨な事態に遭遇する脅威のものです.

プレゼンテーションは基本的に
20分程度.一般質問が10分程度です.
合計で最大1時間ですが,たいていの場合,
30分程度で終わります.

committeeの質問は,無制限ですが,
だいたい1時間から2時間程度.

また,これが,PhDになると,
3時間とか普通になるそうです.

僕の場合は,はっきりと憶えていませんが
一時間程度だったと思います.

さて,このプレゼンテーション.
生まれて初めての英語による
プレゼンになりました.

発表すること自体は,それほど
緊張しませんでした.

というのも,
日本で,卒論発表や修論の中間発表をしてますし,
セミナーでの発表もあれば,教育実習で
授業も受け持っています.

別に,人のまえで何かを発表することは
簡単ではないのですけども,それほど
緊張するわけでもありません.

問題は,そうです.
英語.

僕が思うに,プレゼンのコツは
シートにあまり文字を書かないこと.
必要最小限にまとめて,あとは
言葉で補足するわけです.

でも,英語.
憶えるにしても,限界があります.
そこで,少々文字を多くしました.

んで,図も多めに.
だいたい図と文字が五分五分になるのが
いいと,教授は言っていましたね.

と,ここで問題が.
時間との戦いです.

初めは,26分かかりました.
そこで,言う内容を変えたりで
直前には23分へ.

本番は,少々早く口になったりで
20分ジャストで終わったそうです.

練習は,教授に見てもらったり
友達に見てもらったりしましたが,
基本的に家でやっていました.

早い時間に帰り,誰もいないときに
自分の部屋で練習をする.

時間を計り,自分のペースをつかむと同時に,
言う内容を覚えるわけです.

これがうまくいった理由ではないでしょうか?
しかし,もちろん問題もあったわけです.
それは,また明日.
2005年10月10日(月)  No.224

Proposal
やけに寒いなぁと思ったら
最高気温13度,最低気温6度といった
具合でした.

来週はそれでも,暖かいみたいですが,
秋を感じさせてくれます.

さて,僕は,日常会話は,まあ,
ネイティブの人だと,きついのですが,
ネイティブじゃない人となら
それなりにできるぐらいの英語力があります.

一方それが研究などの
お話になるとがらっと変わります.

それが最も顕著に現れたのが,
"M.Sc. thesis proposal"というものです.

proposal は日本語にしますと
計画書になりますので,
修論計画書とでもいえばいいのでしょうか?

これはカナダの全ての大学にあるのか
それともウィンザー大学独自なのかは
知りません.

最大15ページ(図・参考文献は除く)の
計画書(論文形式)を書き,
そして,20分程度の発表をするわけです.

発表後は,committee と呼ばれる
委員の人たちによる,質問を受けます.

committeeは,3人の教官(うち一人は指導教官)で
構成されていて,しんどい質問をガンガンにしてくれます.

これらの質問に答えることができないと,
もちろん合格することはできず,
やり直し,研究に関する授業を取れなどの
勧告を受けることになります.

僕はというと,計画書自体は
ユーコンに行く前にほぼ終わらせてあり,
プレゼンテーションは,8月の終わりか9月の頭と
読んでいたのですが
カンザスのサンプリングなどがあり,
10月の頭になりました.

んで,具体的には,今週の水曜日に
僕の発表がありまして,無事に
合格することができました.

少々長くなりそうなので,
細かい内容などは,明日にしたいと思います.
2005年10月9日(日)  No.223

英語-12
いろいろあり,語学学校に行くと決めたのは
そこへ行く一ヶ月程度まえのことでした.

大学院2年の春です.
言うまでもなく,行き先は,カナダです.

トロント大学の教授に会いたいというのが
その最たる理由でした.

トロントに行ったときは,
あまり英語に関する不安感というものは
ありませんでした.

といっても,別に話せるわけでもなく,
どこからそんなものが来たのか,
自分自身でも不思議なのですが.

基本的に会話なんて無視した
トーフルの勉強だけをしにいったので
たいして会話能力は上がらなかった気がします.

もちろん,3ヶ月の間に,リスニングは
かなり向上しましたし,それに伴い
ある程度は話せるようになりました.

どのくらいかというと,ネイティブじゃない
人となら,なんとか会話できるぐらいです.

最近,わかってきたのですが,
ネイティブじゃないというのは
僕にとって,重要です.

英語をべらべら話す人達と会話すると
その早い会話を聞くだけで
精一杯になってしまうんです.

ところが,ゆっくり話す人だと
落ち着いて会話についていくことが
できます.

あと,無意識にその早い会話に
あわせようとしてしまい,自分の
ペースで話せないこともあります.

他人に釣られるのは,日本人らしいと
いえば,日本人らしいところだと
思います.

閑話休題.
このトロントの滞在で一番の変化は,
ある程度ならば,日本語で考えることなく
会話ができるようになった点だと思います.

英語をそのまま理解でき,英語で返答する.
これは大きなポイントですね.

もちろん,余裕がなくなったり,
一瞬でも,あれこの単語の意味なんだっけ?
とか考えると,途端にダメになりますが.

それが顕著に現れるのは
日常会話ではなく,研究に関する会話
だったりします.

例えば…
と続くわけですが,
ようやく大学生活に戻ってきたところで,
本日は終了.

英語編はこれで終了ですが,
実際の中身は明日に続きます.
2005年10月8日(土)  No.222

英語-11
いいかげん,この英語に関する文章が
長くなりすぎたなぁと猛烈に反省中です.

まさかここまで続くとは思いも
しませんでした.

あと2回ぐらいで終わる予定なので
お付き合いください.

さて,大学院1年のとき,
ニュージーランドへ旅行へ行きました.

この詳しい内容は,後ほど
っていっても,いつになるか
全くもって未定ですが,
旅行のコンテンツで紹介します.

ご存知,ニュージーランドも英語圏.
もう,このころには,どこから
そんな自信が来たのかわかりませんが,
英語圏を旅行するのは,けっこう平気でした.

ヒアリングの勉強だけは,
ずっとやっていましたし,
旅行で使う英会話なんて
案外決まりきっています.

そんなわけで,英語においての
トラブルはこの旅行中,あまり
起きませんでした.

まあ,他のトラブルは
起きましたが.そのお話は
旅行(のコンテンツ)で….

英語でのガイドもそれなりに
聞き取れましたし,場所を聞いたり
宿を予約したりも,スムーズにいきました.

ただ問題が一つ.
若者の話す英語がわからない.

旅行している人たちの英語は
いいんですよ.

ニュージーランド人の若者の
話す英語がさっぱりとわからないです.

正確に言うならば,
ニュージーランドの訛りがわからない.

オーストラリアには行ったことがないので
わかりませんが,とにかく彼らの英語の訛りが
とてつもなくひどい.

聞き取れたりもするのですが,
それホントに英語なのか?と思ったりもしました.

ちなみに,トロントに留学中お世話になった
語学学校の先生をやっているホストマザーも,
ニュージーランド人と話したことあるけど,
何を言ってるかわかんなくて,会話に
ならなかったと言っていました.

もともとオーストラリア系の英語は
ひどいと聞いていたので,
ところどころ英語がわかんなかったのは,
自分の勉強不足というよりは,
むしろ相手(ニュージーランド人)のせい!
と開き直り,旅行を続けました.

こう考えるといつからでしょうか?
カナダの3回目の旅行で,すでに英語に
それほど怖気づくことはなかったのかもしれません.

乱聴だけとはいえ,続けていた
ヒアリングの賜物だと思います.

しかし,大雑把に言っている内容を
把握することしかできませんでした.

トーフルでは,これではダメなのです.
きちんとポイントを理解して,
要点をまとめる.

それは,トロントの語学学校へ
行ってから,ようやく身につきました.

身についたといっても,
実際のところ,まだまだ発展途上な
わけですけどね.
2005年10月7日(金)  No.221

英語-10
大学院に入ってから
進路を考えるようになりました.

このときは,すでに留学をすること以外
あまり頭にありませんでした.

そして,当然のごとく場所は
カナダです.

他にも大学はありますし,
カナダにこだわる必要はないのかもしれませんが,
しかし,僕にとって,カナダは
非常に重要な場所なのです.

なので,まずはカナダ.
それを念頭におき,大学を調べました.

と,ここで,一つの問題に
ぶち当たります.

そう,トーフル.
その当時は,まだspeakingが
トーフルに入っていませんでした.

そこで,いままでの聞けて,話せるを
目的とした勉強法(といっても,たいして
勉強していませんが…)から,
トーフルで点数を取るための勉強法に
変える必要があったのです.

僕が選んだ方法は,問題集を買って,
ひたすら解いていくという方法です.

リスニングは,いままで,
1000時間ヒアリングマラソンで行ってきた
貯金があります.

そこで,大嫌いだけど,
勉強すれば,確実に点が取れる
文法と,論文を除き,
久しく英文を読んでいなかったので
長文に焦点をあわせて勉強しましたね.

たしかに最初に比べ
点数は伸びたのですが,
しかし,頭打ちにあいます.

あとは,留学のコンテンツ
書いたとおり,トロントに語学留学の
道へと進んでいくわけです.

このトロント留学の前に
ニュージーランドへ旅行へ行っているのですが
そのお話は,また明日です.
2005年10月6日(木)  No.220

英語-9
トーフルを勉強しようと決めたのは
大学4年を飛び越えて,大学院1年と
前回書きましたが,忘れていることが
一つありました.

記憶が曖昧なのですが,
大学2年か3年のときに,英語教材として
あるものを購入しました.

1000時間ヒアリングマラソンを
始めた後だった気がするので
2年の秋頃だったのかもしれません.

そのあるものとは,…ビデオデッキ.
別にテレビでもよかったのですが
テレビは高かったのでビデオデッキを買いました.

その当時というか,富山にいたときは
テレビデオを使っていました.

たいして高いやつでもなかったので
当然のごとく,音声はモノラル.
すなわち,副音声を聞くことができなかったわけです.

ヒアリングマラソンの乱聴は
付属のCDを聞き流すだけではありません.

どんな方法でも英語を聞くのならば
問題がないのです.

そこで手っ取り早く思いつくのが,
映画などである2ヶ国語放送.

英語を聞くこともでき,
さらにそれは日本人向けの
ゆっくりなものではなく,
ネイティブ向け.

これほど最適な教材はないと思いました.
…しかし,肝心の副音声をきく手段がない.

結構迷ったのですが,英語の教材を
購入すると考えれば,ビデオデッキの
お値段なんてたいして高いものではありません.
そこで,思い切って,購入しました.

これはかなり役立ちました.
先にあげた映画から,ニュースまで.
飽きることなく聞くことができます.

このころから,セサミストリートも
見始めましたね.

セサミストリートとは,アメリカで
英語は話せるけど,書くことができない,
そんな子供たち向けの番組だと
どこかで聞いたことがあります.

そんなわけで,非常に適した教材になるわけです.
あとは,海外ドラマもよく見ました.
やはり自分が楽しまないと,
見る気力もわいてきませんし.

また,二ヶ国語は関係しないのですが,
NHKでやっていた日本語講座も
暇なときは見ていました.

これは基本的に英語で会話がされていますし,
外国人に日本語を聞かれたら,こう説明すればいいんだ,
といった勉強にもなったので,案外よかったです.

案外というか,むしろ英会話講座なんかより
よっぽど英語の勉強になるきがするんですけど….

そんなわけで,なるべく日常生活に
英語を取り入れようとして四苦八苦していた
大学生活です.

ただトーフルというよりは,
英語を聞けて,そしてついでに
話せたらなぁという思いが強かったですね.

そして,いよいよ大学院に進むわけですが,
それはまた明日.
2005年10月5日(水)  No.219

英語-8
大学3年でもカナダに旅行に行きました.
場所は,どうせなら,行きたいところは行く!
というバカみたいな計画の下,
イエローナイフ,エドモントン,ナイアガラの滝,
ビクトリア,カムループス,バンクーバー
をまわってきました.

この旅も再びエドモントンで荷物が
出てこないというハプニングに見舞われたのですが
まあ,2回目となれば慣れたもので,
多少は焦ったものの,どうってこともなかったです.

それよりも,9/11のテロのほうが
大きな衝撃でしたね.
その約10日後に旅行を計画していたので.

この旅行で,またエドモントンに行ったのか.
と思われる人もいるかもしれませんが,
この旅行でのエドモントンは
ホストファミリーに会うという以外の目的がありました.

それは,アルバータ大学の教授に
会うということ.

大学3年ということで,まだ研究室には
入っていなかったのですが,そのときに
希望していた教授に,カナダに行くということを
話したら,ついでに会ってきなよ!といわれ
会ってきたわけです.

これは緊張しました.
でも,せっかくのチャンスです.
そこで,空港から電話してオフィスの場所をきき,
アルバータ大学へ出向きました.
(日本から事前にメールは送ってありました.)

空港からシャトルバスで,大学へ.
そして,目指すは,物理学科です.


……
お約束のごとく迷子になってしまいました.

広すぎるんですよ.おまけにどこがどれだか
さっぱりとわからない.

physicsだけ頭に入れてたので
それを念仏のように繰り返し,
physicsと書かれた建物に到達しました.

たしかオフィスは5階だと言っていた気がしたの
だけれども,その建物は3階だて.

おかしいと思いながら,ふらふらと
入っていくと,女の人に止められました.

ここは,学生立入禁止だよ.
すいません迷子です.
という会話があり,結局そこから電話して
もらい,迎えにきてもらいました.

挨拶をして,研究室を紹介して頂き,
論文をいくつかお土産にもらうと
すっかりいい気分です.

この旅行は,留学してみたい!
という気持ちを強めましたね.

ただ,どうやらそれは,
トーフルを勉強しよう!という気持ちには
繋がらなかったようです.

というのも,その当時は3年生.
古地磁気の具体的な研究はしておらず,
そこで行われている詳細な
中身がつかめなかったわけです.

また明らかにしょぼい研究設備.
留学はしたいけれども,ここは…
といった気持ちでしょうか?

それがトーフルの勉強に
結びつかなかっただのだとおもいます.

旅行後は,いままでどおり,
1000時間ヒアリングマラソンの
CDを聞く毎日.

では,本格的にトーフルを勉強しようと
決めたのは,いつだったのでしょうか?

それは4年生を飛び越し,
大学院一年生のときになります.
そして,それは,また明日.

あっ,後日談ですが,
僕にそこへ行っておいでといった
教授は,僕が本当に行ってくるとは
思っていなかったようで,非常に
驚いていたそうです.

こんな話を先輩から聞いた時点で
この教授には見切りをつけるべきでした….
2005年10月4日(火)  No.218

英語-7
1000時間ヒアリングマラソン終了後
しばらくして,進路を迷うようになりました.

留学という高校生の頃から考えていた
漠然とした夢を,現実にするかどうか?
という迷いです.

この迷いは二つありました.
一つは自分の専門をどうするか?
そして,もう一つは,いつ留学するか?

前者は地球科学を専門としていて
それを変えるかどうかという点です.

人類学というか,ネイティブアメリカンに関する
研究をしてみたかったというのが
そのときは非常に強かったです.

しかし,同時に古地磁気学にも
強い関心があり,その狭間で
揺れ動いていました.

結局,人類学っぽいことは
趣味みたいな感じで続けられるだろうと考え
地球科学を選びました.

そして,せっかくだから
大学は日本で卒業しようと
決めましたね.

これはけっこう考えた結果です.
欧米の大学は入るのは簡単だけど
卒業するのは難しいとよく聞きます.

日本は理系は卒業が楽とは思いませんが
英語の壁もありませんし,
欧米よりは簡単です.それに単位も
簡単にとれますしね.

一度卒業さえしてしまえば
とりあえず,学士はもってるわけですし
いろいろ便利だと思ったわけです.

ただ,留学だけはゼッタイにしたかったんですね.
留学というか海外での生活.
もっと言うならば,カナダでの生活です.

そこで,大学3年の夏ぐらいだったでしょうか.
アルクのトーフルマラソンに申し込みました.

…これは大失敗でしたね.
どうやら身を入れてやらなければ
いけない通信教育はむかないようです.

って,そんなことは,かなり昔から
わかっていたことなんですが….

面倒になったことと,大学の授業(主に実験)が
忙しかったことから,殆ど手をつけませんでした.

ただそれでも役に立ったのが
リスニング用のCDと単語帳.

特に単語帳は,かなり活用しました.
ウィンザーに留学が決まるまで
ずっと持ち歩いて,見ていました.

まあ,数万円する教材を購入しておきながら
主に活用したのが単語帳だけとは
我ながらなさけないですが….

大学3年でもカナダに旅行に行きました.
そのお話はまた,明日.
2005年10月3日(月)  No.217

英語-6
面倒くさがりな僕が,ほとんど乱聴
(テキスト等を見ずに聞き流す方法)ばかりとはいえ,
一年間ヒアリングマラソンを続けることが
できた理由.

それは,海外旅行でした.

大学二年の夏に初めて一人で
カナダに旅行へ行きました.

目的は,ホストファミリーに会いに行くことと
ホームステイ中はできなかった,
エドモントン,カルガリーの観光をすることです.

エドモントン郊外に一ヶ月弱,住んでいたのですが
ウエスト・エドモントン・モールを除けば
観光らしき観光はしていない.

たいてい休日には,家族のみんなと
遊んでいたために,観光名所には
行っていなかったのです.

カルガリーは小旅行で寄ったのですが,
滞在時間はごくわずか.オリンピック・パークには
行きましたが,ダウンタウンは見ていないに
等しかったんですね.

そんなわけで,エドモントンに一週間という
いま思えば,何をするんだ?とも思われる
日程を組みつつ,カルガリーとバンクーバーを
あわせて見てまわりました.

この旅は,初の一人海外旅行ということもあり,
けっこういろいろ憶えていますし,
ハプニングもありました.

まずはエドモントンの空港で
スーツケースが出てこなかった.

最悪です.バンクーバーまではあった
荷物が,エドモントンにきたら出てこない.

旅の始まりがトラブル.
さらに始めての一人海外旅行というなか,
なんとかクレームをつけたところ,
18時までに宿に荷物が届かなかったら
ここに電話してね♪といわれました.

はたして18時になっても荷物は
届く気配がさっぱりなかったので
電話すると…本日の営業は終了しました.
御用の方は,本社ウェブサイトをご覧下さい.
というテープが!!

ありえないと呟きながら,
いつ荷物が届いてもいいようにと
近くのマクドナルドへ夕飯を食べに行くと
ここでもまたトラブルですよ.

なんとか注文はできたのですが,
その後がききとれない.
何度聞き返しても,わからない.

いま思えば,for here or to go?
と聞かれていたんだと思いますが,
当時はさっぱりとわかんなかった.

なんとか食事にありつけたものの,
それ以来,マクドナルドというものは
大嫌いになりました.

別にむこうが悪いわけじゃないんですが,
たいして旨くもないし,ご当地物を
食べる以外では,その後利用したことがありません.

その後はなんとかなったのですが,
最後のバンクーバーで,やっと
日本人が多い街に来たと気を抜いた瞬間,
またまた問題が….

英語がさっぱりと聞き取れなくなって
しまったんですね.安心したとたんに
ダメになりました.

そして,バスの運転手さんに降りる場所を
きいておき,そして運転手さんも
教えてくれたにもかかわらず,それが自分に
言ってるとは気づかずに,降り忘れ.

運転手さんは優しい方で,
どうせ一周まわるから,そのまま乗ってな!
といってくれましたが,ついでに
もっと英語を勉強しなきゃ!!とも言われました.

その乗ってる最中に,再びなんとか
英語モードに直したのですが,
これらはショックでしたね.

旅行から帰ってくると,
ちょっとマジメに勉強をしました.

っていっても,そんなに長続きは
しないんですけどね.
すぐに乱聴のみになってしまいます.

それでも,海外旅行に行くと
自分の英語の出来なさにいらつき
勉強しようという気になります.

一過性ですが,それでも
なるだけマシです.

ヒアリングマラソンが終了しても
CDは手元にあるので,乱聴だけですが
ずっと続けていました.

これはこれで意味があり,
少なくても通常スピードの会話には
面食らうこともなく,すんなり
入っていくことができるようになりましたね.

そして,話すほうもやる前よりは,
多少はできるようになりました.

5,6万円した記憶がありますが,
とりあえず損はしなかったと思っています.

ヒアリングマラソン終了後,
再びアルクのお世話になるのですが
それはまた明日になります.
2005年10月2日(日)  No.216

英語-5
英語について過去にさかのぼっている
わけですが,ようやく5話目にて
大学まできました.

さて,大学一年の頃は必修科目で
英語がありました.

講義内容は,べつに高校時代と
特に変わった内容ではなかった気がします.
それほど文法をやらなくなった
ぐらいでしょうか?

そして,第二外国語として
選んだというか,半ば強制的に選んだのが
ドイツ語です.

理学部だからドイツ語.
昔は科学といえばドイツだったので
その名残か,ドイツ語をベースにした
カリキュラム編成を組まれています.

他のものも可能なのですが,
他の授業との調整が面倒なんです.

ただ,もともとドイツ語を取ろうとは
思っていました.それは,北杜夫の
影響ですね.

これ以上脱線するのもなんなんで
北杜夫のお話はまた今度ということで
とにかくドイツ語には憧れがありました.

大学2年になり,選択科目として
英語かドイツ語,どちらを取ろうか
迷ったのですが,結局ドイツ語を取りました.

これが良かったかはわかりませんね.
ただここで勉強したドイツ語は
後にドイツ旅行をした際に,役立ちました.

さて,ドイツ語を取った理由ですが
別に英語に見切りをつけていたわけではありません.

科学英語なる授業もありましたし,
自分で勉強すればなんとかなるんじゃないか?
という思いがあったのです.

大学の授業は,長文を読んでいく感じが
強かったのですね.それに対して,僕は
とにかく英語を聞けて,喋れるようになりたかったわけです.

そこで,選んだ勉強法は
アルクヒアリングマラソン
(旧:1000時間ヒヤリングマラソン.)

たしか大学2年の6月ごろから始めました.
英語の授業を取る代わりとして
これを選んだわけです.

では,何故ヒヤリングマラソンを選んだのか?
その理由は,ごく単純です.

聞けなければ,話せない.
ネイティブの英語を聞きまくれば,
100%日本人とわかる発音から
脱出できるのはないか?
そんな考えからです.

1000時間ヒアリングマラソンの
ベースとなる考えは,静聴と乱聴です.

テキストを見ながら,CDを聞く静聴.
そして,聞き流す乱聴.
この二つを行うことにより
英語を身につけることを目的としています.

さて,もともと面倒くさがりやの僕が
一年間,こんなことができたのでしょうか?

答えは,聞くまでもなく,No です.
テキストを見ながら,すなわち静聴が
面倒で面倒で….

もっぱら乱聴ばかりしていました.
ただ一年間で900時間ぐらいは聞きましたね.

せっかくお金を払って買った教材です.
さすがにムダにはできません.
毎月,きちんとテストも行い,提出していましたし
それなりに元は取ったと思っています.

乱聴ばかりとはいえ,続いたのには
理由があります.

それはまた明日.
2005年10月1日(土)  No.215

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能

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