2007年1月14日

歴史的仮名遣い

昨日は友達(ルームメイト)の誕生日パーティー.

サプライズ・パーティーにしようと
いろいろ考えて,いちおサプライズにはなったのだけれども
時間がない中いろいろ考えたために一部ぐだぐだに.

三文芝居までして余分なサプライズを作り出したりしたのだが
まあ,うまくいったのでよしとしよう.

反省は時間がなさ過ぎたこと.
次もしやることがあれば,もっと前から
念入りに作ることにしようと心に誓ったのだった.

さて,週末はコインランドリーに行くのだが
洗濯をしている間,たいてい本を読んでいる.

もちろん日本語.

友達から借りている本もあって早く読まなくちゃ
という思いもあるのだけれども,その前から読み始めているのが
あるので,まずはそれを読み終えてから.

で,その本とは,阿川弘之の断然欠席という本.

エッセイ集なので,気軽に読めるし,一話一話は
それほど長くもないので,洗濯の時間にちょうどいいのだ.

非常に面白いのだけれども,これを人に勧めるかといえば
ちょっと躊躇してしまう.

その原因の一つが,現代仮名遣いではないということ.
つまり,歴史的仮名遣い.

…たしか歴史的仮名遣いというはずだ.
この辺の国語の知識は乏しいのであまり自信がないのだが
記憶では歴史的仮名遣いと言うはずだ.

例えば,次のような文章.

--引用
私が自己流で考へた,アメリカの食ひ物の不味い原因は,
次のやうなものである.
--ここまで

この一文でだいたいどんな仮名遣いか
わかってもらえるでしょう.

で,僕がこのような文章をすらすらと読めるかといえば
実のところ苦手な分野.

もともと古典が大嫌いで文系を諦めたような
人間なので,苦手という単語の上に大がつくほど.

なにせ大昔になるがセンター試験では
国語の中の古典は考えてもさっぱりとわからないので
すべて勘でやったほどだ.

ではなぜこんな文章の本を読んでいるかといえば
なぜか読めてしまうという全然答えになっていない答えしかでてこない.

これが非常に不思議なのだが,この本に限っては
苦もなく読めてしまう.

あ~読みにくいなぁというのがなぜでてこないか
そこは謎なのだけれども,それは日本語の文に飢えているからだろうか.

そうでなければ理由が思い浮かばないのだが
しかしこれはよいことであって,なんだこれ?と頭を
ひねりながらエッセイを読んでいてはストレスが溜まるばかりで
それならば小難しい現代仮名遣いで書かれている純文学でも
読んでいたほうがマシというもの.

いま単行本の半分ぐらいまできたわけだけど
全部読み終えるころには多少は歴史的仮名遣いを
使いこなせるようになってるだろうか?

いやなったからどうとかそもそも勉強するきも
たいしてないのだけれども,知識としてあるのは悪くないかと.
幸いなことに阿川氏は綺麗な文法らしいし….

投稿者 カズ : 22:56 | 雑記

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