2011年9月6日

ポーランド-6

先月から今月にかけての
出費がひどい.

ひどいというか
もうなんとかなるレベルを超えての出費なので
親に頭を下げた.

情けないがしょうがない.
いつくるかわからないが,出世払いということで….

さて,荷物は諦めて
一路ポーランドへと向かう.

車は思ったものよりいいものを
借りることができた.

いうなれば,フィットを借りようとしていたら
ストリームがきたようなものだ.

つまるところ,グレードがアップしている.

この空港の某レンタカー会社は
前に来たときも勝手にグレードアップしていた.

それはきっと車がないからなんだろうけれど
なんか得した気分.

マニュアル車だがそこは問題ない.

さっそくエンジンをかけて
出発の準備をする.

…オーディオのいじり方がわからない.

ドイツ語め.

適当にいじくっていたら
教授に,どうした?車に問題あるの?
と心配されてしまった.

それでもなんとか無事にCDをかけることができ
ようやく出発.

ベルリン周辺はなんとなく懐かしい.

かすかにある記憶をたどりつつ
車を運転していく.

ポーランドへの行き方は
高速をひたすら走ればいいので
問題はない.

とりあえず所々の大きな町の名前を
覚えておいて,そこを目指して走っていく.

空港周辺や工事箇所は制限があったりするのだが
他の場所は特に制限速度はないので
常に140km/hを超えて運転.

車が大きいので運転しやすい.

特に問題なく国境へ.

国境では特にパスポートを出したりする必要もないので
そのままポーランドへ入国.

このまま宿に向けてと思ったのだが
ポーランドへ入った瞬間,とたんに道が悪くなる.

ドイツはよく整備されていた.
普通に高速道路.快適に走ることができる.

ポーランドは,ダメすぎる.

道路がボコボコすぎて
100km/hも出せない.

そもそも制限速度がよくわからない.

高速の脇に車が止まっていたりして
手を振って助けを求めていたりするのだが
言葉が通じるか怪しいような国で
自らトラブルに飛び込む必要性は皆無.

悪いけれど無視して車を走らせる.

基本的に町の名前が目印なので
ポーランド語がわからなくても
問題なく目的地には向かっていける.

目的のインターで降りたら
あとは下道.

教授が地図を見つつ進んでいく.

…やばい.

なにがやばいって,車の運転がやばい.

地元の人だからだろうか.

ものすごい勢いで飛ばしていって
追い抜いていって,煽られる.

こえーのなんの.

そもそも制限速度がわからないので
どのぐらいで走っていいのかわからないわけだが
明らかに周囲の速度は,おかしい.

道路もそれほどよくないし
なんだろう.

それに追い抜きがありえないぐらい強引.

いや,もう勘弁して欲しい.
二度とポーランドは車で来ないと
心底思った.

最後の曲がり角がわからなくて
ちょっと迷ったが,なんとか宿に到達.

休憩なしの運転に時差も相まって
グダグダに疲れていた.

投稿者 カズ : 00:45 | Poland | コメント (0) | -

2011年9月3日

ポーランド-5

あっという間にカナダに戻ってきた.

日本での出来事はいつか書くことができるのだろうか.

なんだかどこまで書いていいものか
自分の中で難しいところ.

さらに,現在の忙しさは
カナダに来て最大の忙しさ.

これを乗り越えた後に来るのは
更なる忙しさだろうな.きっと.

ちょっとゴタゴタしてきた.

さて,予定より1日遅れて
ベルリンに到着.

重要な点はベルリンになんとか
到着できたという点だ.

ここまでくれば…
といかないのが,旅と言うもの.

待てど暮らせど荷物がでてこない.

僕だけでなく教授の荷物も出てこない.

デトロイトでの飛行機トラブルが原因なのは
明白でなんとなく荷物がでてこないんじゃないか?
という予感はしていたのだが,それが現実となった.

過去に何度かというか乗り換えを挟むと
2回に1回ぐらい荷物がでてこない僕だが
なんだろう.嫌な感じだ.

しょうがないので,クレームをつけに行く.

行くのだが,場所がわからない.

たいてい荷物を受け取りする場所のそばに
カウンターなどがあるものだが,それがない.

意味がわからない.

おまけに人に聞こうにも誰もいやしない.

しょうがないので2階の出発カウンターに行き
荷物が出てこない旨を伝えると,XXに行きなさい
といわれた.

そこに行ってみれば,ここじゃない.
あそこにオフィスがあるでしょ?そこに行きな
といわれ,そこに行ってみれば,
ここじゃないよ.ほら,そっち.となった.

もうね.なんなの?
馬鹿にしているとしか思えない.

結局のところ,KLMのオフィスに着いたわけだが
疲れきってしまった.

が,悪いことに,オフィスには
クレームをつけにきた人の列.

長蛇の列だろうがなんだろうが
帰るわけにはいかない.

窓口は3つ開いているが
それぞれが長いのなんの.

待つこと20分以上.
ようやく番がまわってきた.

荷物が出てこないことを伝えると
さっそく調べてくれた.

なんでも次の便でやってくるらしい.

次の便は今から2時間後ほど.

これから僕達は
ドイツから車でポーランドへ移動する.

荷物はもちろん運んでくれるんだろうけれど
これ以上のトラブルはごめんだ.

空港で待つ旨を伝え,
とりあえず昼食を取りに空港内の
カフェに行った.

適当にサンドイッチを頼み
食べていると,放送が流れる.

ドイツ語訛りではっきりいって
なんていっているかわからないが
僕の苗字だけは聞き取れた.

いや,便利だわ.
それなりに有名な苗字って.

教授の名前は難しい苗字でもないのだが
なぜか異なる読み方をされていた.

教授曰く,こんな読み方をされたのは
生まれて初めてだそうだ.

名前を呼ばれた以外何を言っていたかは
聞き取ることができなかったが,とりあえず
呼ばれたってことはわかるので,再び先ほどの
オフィスに行く.

してみるならば,荷物は
次の便ではきません.
というお知らせ.

夜の便になると思うので
恐らく翌日の朝までには届きます.
といわれてしまった.

もうこうなればしょうがない.
ポーランドの宿泊先を伝え
荷物が来ると信じ,ポーランドへ向かうことにきめたのだった.

投稿者 カズ : 00:26 | Poland | コメント (0) | -

2011年8月22日

ポーランド-4

気づいたら,前回の更新が
4月で終わっていた.

別にやめたわけではないのだが
あまりにも忙しすぎた.

やっぱ子育ては大変だ.

おまけにどこまでも続く就職活動.

なんとか落ち着いたかな?というところまで
もっていきたいのだが,考えてみれば
そんな日が来るのはいつのことやら.

たぶん向こう2,3年は少なくともないだろう.

とりあえず慌しく現在,日本.

今月末にはカナダに戻る予定だが
はたして来月の行方はどうなるのか.

来月の今日.どこにいるのか
ちょっとわからないってのは
もう大変なことだ.

さて,ずいぶん話があいてしまったが
ポーランド.

昼食をのんびり(?)と食べたら
もうやることはない.

ぼんやりと椅子に座って
出発の時間を待った.

本などは持っていたけれど
やっぱり手持ち無沙汰.

思えば昨日からまともにやることがない.

ふらふらと免税店を覗いても
これからサンプリングに行く状況で
ほしいものはない.

敢えていうなら,酒だけれども
きっと教授が買うだろう.と予想して
そのおこぼれに与ろうという魂胆.

ダメ人間ここに極まり
といった感じだが,まあ,気にしない.
別に酒がなくて死ぬわけじゃない.

空港でぐだぐだと過ごしていたら
ようやく時間がやってきた.

飛行機に乗り,今度は無事に出発.

機内では適当に映画を見つつ時間をつぶす.

…全くもって生産性のない一日だが
しょうがない.

うとうとしたりしていたら
アムステルダムに到着.

前回の入国審査は入国審査らしいものはなく,
そのままどんどん入っていけたのだが
今回はきちんとした入国審査があった.

あったって特筆することでもないけれど
前回が緩すぎてなんだか不思議な感じだ.

ベルリンに行き,ポーランドへ向かうことと
サンプリングが目的であることを伝える.

伝えるのだが,こういうときに
疑問なのだが英語なのか日本語なのか.

日本のパスポートを見て,片言の日本語できかれたのだが
サンプリングに行くってのは日本語で答えて通じるものなのか?

なんだか日本語でせっかく聞いてくれているのに
英語で返すのも悪い気がしたけれど,英語のほうが
スムーズじゃないかと英語にした.

アムステルダム空港の中を歩き回り
ベルリン行きのゲートへ.

こちらもスムーズ.

定刻通りの出発そして
ベルリンへ到着.

出発に出鼻をくじかれたが
ようやく波に乗ってこれた気がした.

投稿者 カズ : 16:05 | Poland | コメント (0) | -

2011年4月26日

ポーランド-3

academic fairの審査員.

車の中できいたのだが,なんで僕が選ばれたか
というところ.

どこまで本当かどうかしらないが,教授曰く
うちの子供が最近,日本(アニメ)にはまっている.
うちの学科に日本人留学生がいるよ.といったら
是非とも会って見たい.となったそうで,熱烈な
オファーとなったそうだ.

…いや,マジで勘弁してください.
そんなことでお願いされても.

そもそも日本のアニメとか基本的にわからない.

ラボとかでも,アニメが好きな学生さんが
ナルトとかについて話をしてきたりすることもあったのだが
正直な話,まともに読んだことはない.

高校時代にカナダにホームステイしたときに
ジャンプやマガジンを買っていたのが途切れたのをきっかけに
そこから読むのをやめてしまった.

それからはたまにご飯を食べに行って
待ち時間にそこにあるジャンプとかを眺めるぐらいで
さっぱりと最近の話はわからない.

つーか,それって職権乱用じゃね?と思うのだが
実際のところどんな話をしたのか気になる人もいるだろう.

結論からいえば,話をしていない.

別に避けたわけじゃなくて,なんでも風邪をひき
学校に来ることができなかったそうだ.

その教授曰く,子どもは日本人に合えるのを心底楽しみにしてたんだけどね
と残念がっていたが,まあ,世の中そんなものだろう.

さて,ポーランドでのサンプリング.

予期せぬフライトのキャンセルで
デトロイトで一泊することとなった.

ウィンザーという場所に住んでいるせいか
実のところデトロイトで一泊するのは初めて.

別にどうってことはないが
車で30分も走れば我が家がある状態で
モーテルに泊まるってのは変な感じがする.

モーテルではまずは夕飯.

そして,パソコンを開き,メールや
レンタカーの予約の変更.

ホテルに関しては,メルアドがホテルのサイトに
載っていなかったため,直接電話して変更した.

こうなれば,後はヒマ.

ぼんやりとテレビを見つつ
貰ったお泊りセットを確認した.

歯ブラシに歯磨き粉.髭剃りにシェービングクリーム.
洗剤に制汗剤とだいたいお決まりのもの.

ただ意外だったのが,Tシャツも一枚入っていたこと.

今まで何度かこのお泊りセットを貰ったことがあるけれど
Tシャツがついていたのはこれが初めてのことだった.

で,このTシャツ.
お世辞にもいいものとはいえないが,
とりあえずの寝巻きとして使用することにしたのだった.

翌日に起きたのは8時ごろだっただろうか.

なにせフライトは19時.
時間はたっぷりとある.

朝食を取って,チェックアウトの時間をきけば
12時とのこと.

とりあえず12時までは部屋でのんびりしようと
教授と話し,ぼけ~とテレビを見て時間をつぶす.

12時になったのでチェックアウト.

残念ながらモーテルのレストランは
17時にならないと開かないそうで,
ホテルの人はピザでも取ってそこのテーブルで食べたらどう?
といってくれたが,それはやめ空港へ向かう.

まだまだ時間があるね.
とりあえずは空港でのんびりと昼食でもとろうか.

教授はそのような提案をしてきたので
二つ返事で了解した.

空港ではまだチェックインできないかな?と思ったが
どうやらチェックインできるもよう.

デトロイト空港はセキュリティーを通らないと
ほとんど何もないため,さっさとセキュリティーを通る.

で,お昼ごはん.

さっきの教授の言葉を覚えているだろうか?

のんびりと昼食を食べよう.

僕はこれをきいて,てっきりレストランかどっかで
ビールでも飲みながらグダグダとやるかと思っていた.

が,予想は違って,あっ,そこにフードコートがある.
そこでサンドイッチでも簡単に食べましょう.
となった.

まあ,いいんだけどね.
別に何を食べたっていいし,そもそも
動いていないのでそんなにお腹も減っていない.

僕はバーガーキングでハンバーガーを買い
それをお昼とした.

それほど時間がつぶせるわけでもなく
時計を見れば13時ごろ.

まだまだポーランドに着きそうにはなかった.

投稿者 カズ : 19:52 | Poland | コメント (0) | -

2011年4月25日

ポーランド-2

某小学校で行なわれたacademic fairの審査員をやったわけだが
そもそもなんで大学生を呼んでそんなことをやったのか.

目的は大会みたいなところにだして
好成績をおさめるため.

なんでそれが必要かといえば,
私立の小学校だからだろう.

宣伝みたいなものだ.

ところでウィンザー大学というか
カナダの大学は基本的に私立ではない.

あれ?となるかもしれないが
今のところ平等にどこの小学校にも
学生を派遣しているという話はきかない.

もしかしたらあるのかもしれないけれど
僕の知っている範囲ではない.

それではなんでこの小学校だけ?となるが
つまり大学は関わっていない
となる.

これは行く当日に去年もやったという友達から
きいたのだが,ようするに一緒に行った教授二人の
子どもたちがそこの生徒なのだ.

だから,化学科と地球科学科の学生しかいなかったわけ.

わかれば単純な話.

教授の立場を利用して,自分の子ども達がいる
学校へ貢献するのか向こうが頼んできたのかは知るよしもないが
そんななんだか釈然としないことになっていた.

まあ,生徒の発表をみるのは
面白かったからいいんだけどね.

でも,もうちょっと事前に知っていたら
僕はこれを引き受けていたのだろうか.

さて,デトロイトでフライトのキャンセルとくらって
予定が大幅に崩れたサンプリング.

さっそくカウンターに行ってみれば
長蛇の列.

しかたがないので並んでいると
カウンターの人が,国際便に乗り継ぎの人は
一分一秒を争う乗り継ぎスケジュールのため
壁にある電話でオペレーターと話をつけてください
と言った.

一斉に動く列.

当然のごとく僕達も電話のほうに向かった.

電話をするのは自分ではなく教授.

しばらく続くやり取り.

というかね.見ていて思うのだが
完全にカウンターで話をしたほうが
効率がよく早かった.

どこの電話の人も非常に時間がかかっているし
なかにはカウンターのところに行く人も.

僕達も結局話がおわったころには
すでにカウンターの行列はほとんどなくなっていた.

しかも,Flight Itineraryが24時間以上なので
出せないためカウンターに行ってくれといわれたという
オマケ付き.

それだったら初めからカウンターで話をしていれば
早く終わったしよっぽど効率がよかった.

てか,24時間以上!?

そう,変更後のフライトは翌日の19時過ぎに
デトロイトを出る便.

ニューヨーク経由だったのが,アムステルダム経由になり
ベルリンに入る便となった.

まだ25時間以上ある.

どうしたものか.

選択肢は二つ.

ウィンザーに戻るか,ホテルに泊まるか.

ウィンザーに戻るには再びタクシーが必要.
ただし,家でのんびりできる.

ホテルに泊まれば,ホテルの宿泊費だけで済む.

変な感じがするかもしれないけれど
片道80ドルのタクシーを再び往復するとなれば160ドル+チップ.

ホテルに泊まったほうが安上がりなのだ.

一応カウンターでホテルについてきくならば
これは天候の問題でキャンセルとなったため
航空会社でホテルを用意することはできないとのこと.

ただし割引はできるということで
デトロイト空港側のモーテルに一泊となった.

荷物に関してはそのまま預けておいて大丈夫.
そのままベルリンまでいくよー
とのこと.

というわけで,荷物を取ることなく
お泊りセットを貰ってモーテルに向かったのだった.

投稿者 カズ : 20:02 | Poland | コメント (0) | -

2011年4月21日

ポーランド-1

academic fairでの審査員.

後からいろいろきくと
なかなか面白い話が聞けた.

そもそもなんでacademic fairで
審査員なんかがいるか.というところ.

学校なのだから先生が採点すればいい.

普通に考えたらそうだ.

ようするに夏休みの自由研究みたいなもの.

それを飾って大学生を30人以上も呼んで審査を行なう.

その意味はというと,
この採点で優秀な点を取ったものを
市だか州だかのacademic fairに提出するそうだ.

過去にも同じように提出してきているそうだが
おかげで好成績を収めているらしい.

まあ,それはそうだろう.

学生とはいえ大学3年か4年以上の科学に関わっているものが
採点するのだから,それほどひどいことにはならないはずだ.

さらに今年からは今後のアドバイスまで求めるとなれば
なんていうかね.もうなんで,大学がそこまで?と思ってしまう.

のだが,実はこれは更に裏があるのだった.

さて,ポーランドにサンプリングに行ってきた.

というわけで,次回からポーランドでの
サンプリングについてふれたいと思うのだが
最初に行っておきたい.

今回,写真を合計で3枚しかとっていない.
それも全てサンプリングに関わる写真.

3枚.

別にカメラが壊れたわけでもない.
SDカードが一杯になってしまったわけでもない.
バッテリーが切れてしまったわけでもない.

普通にカメラが使える状態で3枚.
しかもサンプリング以外の写真がゼロ.

これが全てを物語っているといってもいいのだが
つまるところ,トラブル続きだったのだ.

それは,土曜日のこと.

予定では,土曜の15時半にデトロイト発
ニューヨーク経由でベルリン行きの便に乗る予定だった.

教授が予約していたエアポートタクシーは予定通りの時間に
教授を乗せてやってきた.

パスポートも忘れずに持っているし,I-94も事前にとってある.

国境を越えるのもそれほど時間がかからず
13時過ぎにデトロイト空港に着いた.

チェックインをして,セキュリティーを通れば
いい感じの時間にゲートにやってこれた.

しばらくすると,悪天候のため16時15分に変更になりました.
という放送が流れた.

まあ,それぐらいなら正直
普通に起こりえるレベルだ.

ベルリン行きの便の乗り継ぎ時間もまだ余裕はある.

さらにもう少し経つと,もしかしたら15時半に出れるかもしれません.
という放送が流れ,その後,15時半に出れるとは思わないでくださいときた.

結局,16時15分となったのだが
これではトラブルといわない.

そのトラブルは飛行機に乗ってからおきた.

飛行機に乗り,セーフティーの説明を受ける.

滑走路まで行き,さて出発だとなってからが長い.

30分ぐらいして,機長から放送があった.
こんなことは自分の機長人生初めてなのだが
JFKから5,6時間ほど待つように指示があった.
ここで待つことはできないので一度ターミナルに戻ります.

これはやな予感.やな予感というか
確実にニューヨークで乗る予定だった便は逃した.

面倒なことになったものだ.と思っていたら
ターミナルに機体が着いたのだが,そこで更なる放送が.

このフライトはキャンセルとなりました.
ゲートに行って,フライトの変更手続きを行なってください.

これが悪夢の始まりだったのだ.

投稿者 カズ : 22:06 | Poland | コメント (0) | -

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