2009年1月15日

終末医療

今回日本に帰ったときは
けっこう忙しかったのだが
それはいろいろあったから.

その中の一つに親戚の不幸がある.

夏に会ったときは元気そのものだった人が
痩せ細って亡くなるというのは
非常にショックだった.

あまり詳しくはしらないのだが
末期がんだったとのこと.

改めて癌の早期発見,早期治療が
大切だなと思ったわけだけど,ふと思えば
ここのところ健康診断なんてやってない.

癌に限らず様々な病気に同じことがいえると
思うので,今度日本に帰ったときにでも
人間ドックに入ったほうがいいかもしれない.

富山時代は1年に1度,健康診断があったが
カナダに来てからは一度もそんなことはしていない.

気付けばもう30近くなっているし
やはりなんらかのものは必要になってくるだろう.

さて,話は戻って癌の治療.

末期がんということもあってか
いわゆる終末医療が行なわれた.

延命するのではなく苦痛を取り除く方向の
医療方針だ.

この終末医療というのは
いろいろ考えさせるものだ.

はじめに言っておくならば
僕は終末医療に賛成で,もし自分が
末期がんなど回復の見込みがほぼ絶望的な状況に
なったら終末医療を望む.

またもし自分の親がそのような状況になった場合
終末医療をお願いするだろう.

だがしかし,延命治療を行なわないというのは
残酷という言葉が適切かどうかわからないけれど
酷な一面がある.

特に問題となってくるのが,癌の告知
というものもあるだろう.

癌の告知が行なわれて本人がそれを望めば
周囲も納得するのだろうけれど,癌の告知が行なわれない場合
周囲の人間が延命治療を断り終末医療の選択を行なわなければいけない.

その葛藤ははかりしえない.

もちろん本人だけでなく周囲のサポートも
行なわれるのだろうけれど,死というものが具体化するのは
つらい.

癌の告知を本人にするかどうか
というのも大きな問題だ.

自分の症状を知りたいけれど
では,余命3ヶ月といわれて,その3ヶ月精一杯生きるか
というような考えが僕に出来るかどうかわからない.

3ヶ月精一杯といっても末期がんでは
その3ヶ月遊びまわれるわけでもないし
生きていく気力はどうしても萎えるだろう.

それならば癌の告知をしてもらわずに
直ると信じていたほうがいいのだろうか.

そうなると終末医療を望むというのと矛盾するかもしれない.

はてしなく難しい問題だ.

また,自分の問題ならまだいいのだが,
それが親や家族になるとまた難しくなる.

例えば,家族の誰かが終末医療に反対した場合.

その反対する人は,延命治療を否定する僕を
敵視する可能性がある.その逆もありえる.

なぜあの人は早く死なそうとするのか.と
直る見込みがない以上,安らかに逝かせてあげたい
という生に関する考え方の違いによる妥協点を見出すのは
ほぼ不可能ではないかと思う.

ならば始めから本人の意思を尊重すればいい
となるわけだけど,そこには再び告知の問題が立ちふさぐ.

正解がなく難しい問題で考えるのをやめてしまいたい
のだけれども,いつか必ず真剣に考える必要性が出てくるだろう.

おじさんの死.

いろいろ考えさせられるものだった.

投稿者 カズ : 23:59 | 雑記

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